2008年 06月 13日
バウハウス展 |
東京芸術大学美術館のバウハウス展をみてきました。

バウハウスといえば、グロピウス、ミース、といった顔ぶれが思い浮かびますが、
実は、私にとってバウハウスといえば、
かつてセゾン美術館(古いか?)でクローズアップされていた
アヴァンギャルドな舞台芸術が印象的でした。
しかし、今回の切り口は、どうやら「美術教育」
なるほど、芸大美術館らしい、という印象。
グロピウスが校長だったときには、基礎美術的な科目以外に、
哲学、数学といった教養科目があったということは初めて知りました。
そして、納得。
人間として、芸術家として、人の心につたえる藝術を創るために
必要なものは、ただ直接的なテクニックだけではなく、
幅広い知識や教養なのだという、当時の教育姿勢を感じて、
ちょっとぐっときました。
このごろ、なにかというと、短絡的な教育が多いように思います。
資格も大事だし、即戦力のある人材を育てるのも大事。
でも一人ひとりの基本的な素養として、
ものを大切にするこころや、
美しいものを感じる気持ち、
恥じらいを感じる精神といったものが足りない今、
やはり、哲学や心理学、色々な物事から何かを学び取る時間が必要なのかもしれません。
手工芸的な芸術と、モダンな工業化製品が入り混じる時代、
バウハウスの存在意義は大きかったと、改めて思いました。
やはり、いつも学ぶということは大事だなぁと、おもってしまいました。
今日はちょっとまじめに書いてしまいました。。。。

バウハウスといえば、グロピウス、ミース、といった顔ぶれが思い浮かびますが、
実は、私にとってバウハウスといえば、
かつてセゾン美術館(古いか?)でクローズアップされていた
アヴァンギャルドな舞台芸術が印象的でした。
しかし、今回の切り口は、どうやら「美術教育」
なるほど、芸大美術館らしい、という印象。
グロピウスが校長だったときには、基礎美術的な科目以外に、
哲学、数学といった教養科目があったということは初めて知りました。
そして、納得。
人間として、芸術家として、人の心につたえる藝術を創るために
必要なものは、ただ直接的なテクニックだけではなく、
幅広い知識や教養なのだという、当時の教育姿勢を感じて、
ちょっとぐっときました。
このごろ、なにかというと、短絡的な教育が多いように思います。
資格も大事だし、即戦力のある人材を育てるのも大事。
でも一人ひとりの基本的な素養として、
ものを大切にするこころや、
美しいものを感じる気持ち、
恥じらいを感じる精神といったものが足りない今、
やはり、哲学や心理学、色々な物事から何かを学び取る時間が必要なのかもしれません。
手工芸的な芸術と、モダンな工業化製品が入り混じる時代、
バウハウスの存在意義は大きかったと、改めて思いました。
やはり、いつも学ぶということは大事だなぁと、おもってしまいました。
今日はちょっとまじめに書いてしまいました。。。。
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by accat
| 2008-06-13 22:58
| 建築&アート